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微笑みはサダカのハディースに寄せて

元気になるハディースに更新された、微笑みはサダカのハディース
ハディースの原文表示 日本語訳 解説)に寄せて。

私はこのハディースを思うととても元気になるし、勇気づけられます。
ムスリムとして、正しい道の上にいるんだろうか、
やるべきことができているんだろうかといつも不安なのですが、
こういうことも、ニーヤ次第でサダカになるんだよと言われると、
何となく、私でもできるかな、大丈夫かなと思うことができます。

とくに、「ほほえむ」ということ。
これは一瞬でできますよね。
たとえ、全身が動かなくても。
たとえば高熱が出て、ぐったり寝込んでいても、
看病してくれている人が水を持ってきてくれたときに、ほほえむ。
それだけで、ただ看病されているだけでなく、サダカをしたことになる。
これは本当にすごいことです。

ままムスびの活動を通して、アルハムドリッラー、
たくさんの人と出会うことができました。
そして同時に、いろいろな方の涙もみてきました。
泣きながらお話をされるムスリマママさんは決して少なくありません。
そんな方々に、笑顔になってもらえるように、
ままムスびとして何ができるだろうといつも思っています。

それから、はじめての「ままムスび」に、
開始前、いったいコイツはこれから何を始めるつもりなんだと、
怪訝な表情でこちらを見つめる参加者の方々が、
終わる頃には笑顔になって、微笑み返してくれるようになるのは、
何度やってもとても嬉しいことです。
また、そういう記憶が、次への勇気になります。
緊張するのは自分も同じなのです(笑)

子育ては大変ですが、
自分にはこれができない、あれができていないと思わず、
そうだ、微笑みもサダカになるんだ、というぐらいの気持ちで、
焦らず急がずいっていただければと思います。
特に、お母さんの笑顔は、お母さんの笑顔さえあれば子どもは何とかなる、
それぐらいの力があると思っています。

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解説:微笑みはサダカ

このハディースは私たちを善行に導いてくれるドゥアがいくつもあることを教えてくれます。笑顔、目の不自由な方を案内すること、障害物を道からのけること、良いことを勧めること…全てがサダカです。また、このハディースはニーヤ(意志)が習慣をイバーダ(崇拝行為)に変えることも教えてくれます。例えば、この障害物を道からのけるのはアッラーに近づいてまた報奨を得る目的で、とニーヤして行うと、報奨が発生するということです。またイスラームが相互扶助の精神をとても大切にしていることもこのハディースから伺えます。善に呼びかける人たちこそ、最もこの精神をあらわすのに適した人たちです。またどんなに善が小さくても軽視してはならないことも分かります。たった一つのどうでもいいようなあなたが発する言葉が善を齎す数多くのドアを開けるものとなるかもしれませんし、とても簡単な行動がニーヤによって偉大な行為になるかもしれないのです。
小さく見える善でも軽く見てはいけません。アル=イマーム・アハマド(アッラーの御慈悲あれ)はかつて息子に次のように言っていました:出来る限りの善行をしなさい。もしかしたら明日、おまえはそれを出来ないかもしれないから。今日やるべきことを明日に延ばしてはいけない。もしかすると明日はお前が死んでしまうかもしれないから。
些細な一言で学生を励ますこと、あなたが出すお金で貧者が食事すること、悩んでいる人に笑顔を見せること、自身の悪行で穢れてしまった人を善に導くことなどはすべて善行なのです。
もし誰かがあなたを食事に招待してくれたとしましょう。招待者が笑顔いっぱいであれば、きっとあなたも喜びを感じ、彼の寛大さによって喜びも増大することでしょう。でももし彼の顔が顰め面であれば、食事など美味しく感じられないでしょう。

微笑みはサダカ

عن أبي ذر قال: قالَ رَسُولُ اللَّهِ صَلَّى اللَّهُ عَلَيهِ وسَلَّم: تَبَسُّمُكَ في وجهِ أخيكَ لكَ صدقةٌ وأمركَ بالمعروفِ ونهيُكَ عن المنكَرِ صدقةٌ وإرشادُكَ الرَّجُلَ في أرضِ الضَّلالِ لكَ

صدقةٌ  وبصركَ للرَّجلِ الرَّديءِ البَصرِ لكَ صدقةٌ وإماطتُكَ الحجَرَ والشَّوكَ والعظمَ عن الطَّريقِ لكَ صدقةٌ وإفراغُكَ من دلوكَ في دلوِ أخيكَ لكَ صدقةٌ. (الترمذي)

教友アブー・ザッルは言いました:アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:あなたがあなたの兄弟に送る微笑みはサダカです。あなたが善を命じ、悪を禁じることもサダカです。迷った人に道案内をすることもサダカです。目の不自由な人を助けることもサダカです。道から石、刺、骨を取り除くこともサダカです。あなたのバケツからあなたの兄弟のバケツに汲むこともサダカです。(アッ=ティルミズィー)

やってみよう、ズィクル

 原文→「اللَّهُمَّ أَعِنِّي عَلَى ذِكْرِكَ، وَشُكْرِكَ، وَحُسْنِ عِبَادَتِكَ」

アッラーフンマ・アインニー・アラー・ズィクリカ・ワ・シュクリカ・ワ・フスニ・イバーダティカ

 意味:アッラーよ、あなたを想起すること(ズィクルすること)において、そしてあなたに感謝することにおいて、そしてあなたに正しい崇拝を捧げられることにおいて、私に御力を与えてください。

 伝承された由来:預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が教友ムアーズ・イブン・ジャバル(御満悦あれ)を愛するゆえに与えた祈願の言葉。毎礼拝後にこのドゥアーをするようにとアドバイスをした。

解説:清潔は信仰の半分

「清潔さ(タフール)」はこのハディースではとくに、ウドゥーやグスルなど、崇拝行為を有効にするための行為を意味します。清潔であることは、崇拝行為が成立するための条件の一つであり、自分がアッラーを愛しているしるしでもあります。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は信心深い信者たちに、アッラーに懇願するための準備として清潔であろうと心がけることは、その者が持つ信仰心の表れであると説明されました。つまり信者が清潔であろうと努めることは、アッラーの命令を忠実に守り、アッラーの呼びかけにきちんと応えているということになるのです。クルアーンを通じて発せられた、アッラーによる「清くあれ」との命令に応じる信者は、アッラーの御前に敬虔な気持ちを持って立たせていただけるだけでなく、アッラーからの愛が相応しくなります。「まことにアッラーは悔いて戻る者たちを愛し、身を清める者たちを愛し給う。」(雌牛章222節)
また預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、(ウドゥー、グスルなど)清くあろうとすることの報奨は、信仰の報奨の半分になるまで、増加していくことを教えてくださりました。なぜなら信仰は過去に行われてしまった大きな罪や小さな罪を消し、とくにウドゥーという清めの行為は過ぎ去った小さな罪を消すためです。そうあることが、信仰の半分であると言えます。

清潔は信仰の半分

عَنْ أَبِي مَالِكٍ الْحَارِثِ بْنِ عَاصِمٍ الْأَشْعَرِيِّ رضي الله عنه قَالَ: قَالَ رَسُولُ اللَّهِ صلى الله عليه وسلم “الطَّهُورُ شَطْرُ الْإِيمَانِ، وَالْحَمْدُ لِلَّهِ تَمْلَأُ الْمِيزَانَ، وَسُبْحَانَ اللَّهِ وَالْحَمْدُ لِلَّهِ تَمْلَآنِ -أَوْ: تَمْلَأُ- مَا بَيْنَ السَّمَاءِ وَالْأَرْضِ، وَالصَّلَاةُ نُورٌ، وَالصَّدَقَةُ بُرْهَانٌ، وَالصَّبْرُ ضِيَاءٌ، وَالْقُرْآنُ حُجَّةٌ لَك أَوْ عَلَيْك، كُلُّ النَّاسِ يَغْدُو، فَبَائِعٌ نَفْسَهُ فَمُعْتِقُهَا أَوْ مُوبِقُهَا”.

رَوَاهُ مُسْلِمٌ [رقم:223].

ハディース:アブー・マーリク・アルハーリス・イブン・アースィム・アルアシュアリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。

清潔さは信仰の半分である。アルハムドリッラー〔讃えあれアッラー〕という言葉は秤を満たし、スブハーナッラー〔完全無欠のアッラーよ〕とアルハムドリッラー〔讃えあれアッラー〕の2つの言葉は天地の間すべてを満たす。礼拝は光であり、施しは明らかなる証拠、忍耐は明り、そしてクルアーンはお前のための証拠もしくは反証である。人はみな1日を朝から始め、自分の魂を売る。ただしその結果魂を自由にする者もあればそれを破滅に導く者もある。

これはムスリムの伝えている伝承である。(40のハディース、第23の伝承、 黒田 壽郎訳、http://www.40hadith.com/40hadith_jp.htm)