皆さんから寄せられた日本の高校でのヒジャーブについての情報を、日本列島を北から南の順に縦断して掲載します。これらは皆さんから集まった体験談やアイディアであって、こうしなければいけないとか、こうすれば必ず成功するという保証のあるものではないことをご了承ください。
リレー寄稿:ヒジャーブ@高校2014 福岡より②
◆福岡県庁在勤A.Yさんより:父親が小学校の教職員でした。また、4児の父です。そのため、学校と交渉する立場も交渉を受ける学校の立場も両方分かると言えると思います。福岡ではムスリムの子弟の教育のサポートをボランティアで小規模ながら、ぼちぼちしています。福岡マスジドスクールの中高生の先生をしていますが、それはマスジド運営側の依頼を拝しているところです。そのため、ムスリム子弟の受験や高校での情報は入りやすいです。
本業の公務員としてはよく地方自治行政法務の勉強会に自治体を超えて参加しておりまして、行政側の本音や基づいている法律とその解釈を知っている方だと思います。その立場から説明していきたいと思います。
・公立高校と私立高校の違い―「お役所」の公立、「校風」の私立―
一般的には公立高校は県や市の申し合わせ事項や内規などで決まっている範囲内で交渉となります。「お役所」の側面があります。
私立は学校独自目指すところ(=「方針」)の人物像や学校のブランドイメージ、つまり、「校風」というものがあります。それで人格評価して入学を決める人格主義の側面があります。ここで言う人格は「校風」を体現する人格のことで、学校側が望ましいとする人物像のこと。服装なら学校が望ましいとする人物像の服装に合致するかがポイントとなります。だから、私立は「交渉は厳しい」となりますが、もともと、「校風」に合致するかどうかの人格主義で、成績=実力があっても「校風」に合致しないものは認めず、交渉の余地がないということになります。
私立の理屈としてはスーパーマーケットの買い物のように、好きな高校を選べばいいので、うちを選ばなくてよいというもの。なので、うちを選ぶなら、「御宅のコダワリ」を捨てて「学校の方針」にあわせてもらわないとなります。逆にイスラーム許容の「校風」=だったらOKで交渉すら必要ないし、至れり尽くせりとなります。
・公立高校の入学前・入試前にイスラームの規定(服装・食事・礼拝等)について話してよいかどうか?
家庭の方針によるが、一般的にしたほうが良いです。
合否に影響を与えない上、自分勝手と思われない範囲では学習主体性と計画性を評価されやすい(大学に合格しそうな人格)と思われるので、逆に好印象だからです。コネ合格はないので好印象だから合格するわけではないですが、入学後生活しやすいだろうと思われます。
ちなみに、公立高校は高偏差値であればあるほど実力主義、低偏差値であればあるほど人格主義の要素が高まる=校則とその解釈は厳しくなる傾向があります。
公立のうち、高偏差値校であればあるほど、将来、大学に合格する可能性の高い客観的指標である入学試験の成績で入学を決め、中学校の担任達の主観に過ぎない内申点は全くと言っていいほど参考にしないものです。(注釈1)というのは、大学に合格する子が欲しいからです。逆に内申点に重点を置く公立高校は、概して校則の解釈や検査を厳しくして生徒の管理をする必要がある高校です。そういう高校は中学の内申点が高い秩序を守る生徒をできるだけ多く欲しいというのが本音です。人格主義が比較的全面化しやすく、イスラームの服装規定などを認めると他の生徒の苦情に説明できなくなるので、認めない可能性が多くなります。
いずれにせよ、どの公立も入学できる点数を試験で出して、内申点の加味できる範囲でしか不合格にすることはできません。逆に言えば、気に入った子を点数等無視して入学させることもできません。違法行為になることはできませんし、訴訟の可能性があることすることは内部でも相当の問題になります。行政で担当が気に入らない人を書類申請で落とすことは行政手続法で許されていません。公立高校は行政なので、行政手続法に従わなければなりません。(注釈2)よって、内申点を気にしない実力主義が全面化する高偏差値校であればあるほど、事前の面談で嫌われたとしても試験で合格点を取れば落とせません。また、かなり譲歩してくれるはずです。
・学生の本分は勉強、そして交渉の意義とは?
わかってほしいのは学生の本分は勉強、イスラームの服装の交渉で悩むよりまず勉強して学力をつける。老婆心から助言です。純粋なニイヤで努力するものをアッラーが拒否なされることはなく、むしろ、お守りいただけます。一番重要なのは純粋なニイヤと努力と工夫!!交渉方法は包装紙のようなものです。
交渉する意義は、高校生のムスリムは将来会社で働いたり、海外の大学を受けたり、そこで就職したりするのだと思います。すると、自分で主体的に情報を収集して、スポンサーや試験機関にプレゼンや事前説明をする機会が当たり前になります。すると、この高校入試から入学、そして、その後の学生生活は自分のことを自立した個人として相手に伝えるよい機会になります。高校は義務教育の公立中学と違い、受験で学生を選ぶことができます。初めて選ぶのでなく選ばれる立場になるわけです。そこで、自己をアピールしたり、自分達の価値観やイスラームの規定を理解して頂いた上で先方に感受していただいたりできる能力は将来にわたってよい財産になっていくと思います。
・交渉方法(公立高校側として認めやすいスタイル)
① 子供が主体的に交渉して、親は見守り、励ます。※学校が欲しいのは主体的な子。受身な子はいや。
②(例)のように箇条書きでA4一枚にまとめてきて、説明。
③内規や申し合わせ事項のような学校の一存(「裁量」という)で判断できないことをはっきりさせる。
④学校側の裁量である部分を見極め、後者について認めてもらう
⑤事前に電話等かけ、学校説明会の日等にアポイントを取り、説明の機会を持つ
ポイント:学校の裁量部分を見極めること。相手を責めるのは慎むこと。子供が主体的にイスラームという少数派の価値観を主体的に守り、勉強に努力している姿は誰しも胸を打つ。国際的・多元社会のなかの学校側の寛容さに素直に感謝するのがコツ。礼節(アーダーブ)が一番大切です。
交渉方法は私立も一緒だが、内規より「校風」が何かをしっかり把握し、その「校風」に服装規定やイスラームの規定が国際的や多元社会、または変人の集まりなどのキーワードで馴染むかを見極めること。
何度も言いますが、大切なのは純粋なニイヤと礼節(アーダーブ)、真摯な努力と工夫です。学生の本分は勉強です。勉強をしっかり頑張ること、しっかり学校を選べる立場になって、そのあとの学校選びです。交渉の時も、そこしか行き場がないのと、ほかに選択肢があるのでは気持ちに違いが大きく出ます。ただ、至高なるアッラーは純粋なニイヤで努力する者を蔑ろにはなされません。皆様にアッラーのご加護と祝福がありますように。アーミーン。
(例)※あんまり練ってないので、もっとよい印象で効果的なまとめ方はあると思います。あくまでまとめ方で形式ですので、心意気を優先してくださいね。すみません(A.Yより)
ムスリムとして学校に配慮していただきたいこと
1イスラームとは何か
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2学校に認めて欲しいこと(規定)
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3校則に反しないと思う理由について
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4私にとってなぜイスラームの規定が重要なのか
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5まとめ
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以下、補足。
交渉方法の王道や、公立高校の本音や私立高校の本音の部分を説明し、うまく交渉する方法をまとめています。公立高校の方が交渉しやすいので、公立高校のやり方を中心に説明しました。これは一般論でしてケースバイケースで異なることは申し上げておきます。また、公立高校が嫌がるが結果的には通る方法も割愛しています。
・王道は事前交渉だが・・・
王道は事前交渉だと思っていますが、相手が交渉に乗り気でなさそうな機関であるかの目安として、県庁の県立高校担当課もしくは高校教育窓口に電話をして、一般論としてムスリム子弟が入学する場合にどの程度まで具体的に認めてくださるのかということを質問して感触を確かめることができます。
・窓口の答えは公式見解・・・
窓口では公式見解(当たり障りのない解釈)を言うので、窓口で言った解釈は高校でいくら交渉しても「決まっていることですから・・・」と埒があかない(主管課の解釈にしたがうだけ)ということです。その場合は県立高校と交渉するのでなく、高校教育担当課と交渉する必要があります。ヒジャーブや肌を隠すこと、礼拝やジュムアは校則違反に当たらない、なんら単位で問題にならないことを理解していただく必要があるのではないかと思っています。
・窓口の感触で入学後に交渉も考えられる・・・
窓口での感触次第で、何もいわず入学試験で入学してしまってから、交渉してもいいのかと。理由を後述しますが、よっぽどのことでないと単位の不利益、ましてや退学はありえないと思います。その場合でもトラブルを避けるために入学確定後すぐに説明の機会を持つといいかと思います。
・校則などの法律事情・・・
実は校則は法律でないので、学校の裁量です(注釈3)。申し合わせも内規もその地方自治体の解釈によるマニュアルです。生徒への指導は行政指導の域を出るものでありません。法体系の秩序を壊すということにはならないと思われます。合格したら、本当はどうにでもなります。合格した人間を校則に合致しないということで、退学にすることは相当の理由がないとできません。権利を奪う行政処分は条例化して、法律で定められた手続きを踏まないとできないからです。イスラームを遵守することを校則違反とするのはかなり無理のある立場を学校が取っていることをわかった上でやわらかく認めていただくのがよいと思っています。ムスリム故に退学処分というのは、社会通念上(国際社会を目指す日本・・・)問題になります・・・。故に公立は交渉しやすいのです。
「決まっていることですから」と服装規定や礼拝を認めないとさすがにまずいと行政職員の本音としてアラームがなります。「法秩序をおびやかすもの」でないことも明白ですし、一つの宗教だけを優遇する施策でもありません。
・役人の本音を言えば、実はイスラームの規定をさせないことはできない・・・
すると訴訟になり行政側が負ける可能性が高い気がします。体育(剣道)を宗教上の理由で休んで単位を認めず退学処分した剣道実技拒否事件(H8.3.8)で行政側は「社会通念上著しく妥当を欠く処分」「裁量権の範囲を超える違法なもの」ということで敗訴しているからです。この事件は公務員試験や法律資格試験の憲法と行政法によく出る判例です。(注釈4)
ビイズニッラー、時代が経るに従って、地方公共団体は解釈の足並みを全て認める方向で揃え始め、イスラームの規定はやりやすくなると思います。
アッラーに満足します。アッラーは最良の保護者です。
注釈
(注釈1)細かいことは教えていただけませんでしたが、中学校の内申書は通知書と担任等教師の評価によりつけられると教師の知り合いから聞きました。また、通知書は中間考査と期末考査及び意欲や出席数等をもとに、5段階で絶対評価されるとのことです。文部科学省、地方自治体教育委員会等のサイトを見ても矛盾はないので、そういうものなのだと思います。まず、中間考査と期末考査は学校それぞれでテスト問題が異なり、さらにテストの平均や順位と関係なく、点数で決まる絶対評価です。その時点で、出身中学の違いが出てしまい、客観的な指標になりにくいのです。例えば、テストが簡単な学校の内申書は高くなってしまいます。さらに、担任等教師の意欲等の評価が加わるのですから、さらに主観的なのです。主観と客観の違いは実を言うと難しいのですが、ここでは誰が見ても明らかな数値で示される指標を客観とし、それぞれの出身校と担任でまちまちになりがちで統合して比較しにくい指標を主観としています。公立高等学校入学考査といわれる公立高校入試はそれぞれの都道府県下の学生が今までのデータ解析と学習指導要領を踏まえた上で作成された同一の問題を解いた上での点数評価なわけですから、その意味でもっとも客観的な指標です。学生の出身校の中間考査や期末考査の問題は高校において把握できませんし、出身校の実態もよくわかりません。その意味で内申書は主観的なのです。
(注釈2)公立学校は行政財産のうち「公の施設」であり、学校長にしろ、学校の先生も、行政です。学校教育法と教育基本法並びに関連法令に従うと同時に、それらの法令に例外的手続きが定められてない限り、行政手続法に定められた手続きを踏んでいく必要があります。行政指導というのは、強制力を伴わない「お願い」のことです。行政処分とは権利を制限等したり、義務を課したりすることで、強制力を伴います。後者は法律の根拠ができないとできません。地方公共団体で言えば、「条例」で規定されていないとできません。
以下、関連する条文を挙げておきます。
「行政手続法第7条 行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならず、かつ、申請書の記載事項に不備がないこと、申請書に 必要な書類が添付されていること、申請をすることが できる期間内にされたものであることその他の法令に定められた申請の形式上の要件に適合しない申請については、速やかに、申請をした者(以下「申請者」と いう。)に対し相当の期間を定めて当該申請の補正を求め、又は当該申請により求められた許認可等を拒否 しなければならない。」
簡単に意味をいうと、書類を机の中に入れ放しにしたり、申請を握りつぶしたりするなということ、そして逆に形式上の要件に合致しないものを受理してはいけないということです。
「行政手続法 第8条 行政庁は、申請により求められた許認可等を拒否する処分をする場合は、申請者に対し、同時に、当該処分の理由を示さなければならない。ただし、法令に定められた許認可等の要件又は公にされた審査基準が数量的指標その他の客観的指標により明確に定められている場合であって、当該申請がこれらに適合しないことが申 請書の記載又は添付書類その他の申請の内容から明らか であるときは、申請者の求めがあったときにこれを示せば足りる。」
要は、退学処分(行政処分)をするには、数量的指標(テストの点数など)や相当の客観的指標がいるのです。
(注釈3)校則は法律ではないについて。校則自体は法律上の根拠を持つものでなく、校則違反したから退学等の行政処分になるものではないということです。校則は学校の自治権に基づいて裁量で定めるものでそれ以上ではありません。私立の場合、自治権が公立よりも大きく認められています。私立は選ばなければいいからです。しかし、公立は公教育である以上、選ばなければいいという問題にはなりません。ムスリムであろうが、少数民族であろうが、国民等である場合、教育の機会の均等がないといけない事情があります。ジュムアで休んで単位が取得できず、進級できない、もしくは卒業できないというのは、何らかの代替措置ができなかったのかということを問われる可能性が行政側にあります。法律で規定されていることですらそうなのなら、ましてや、校則は言うまでもないと思われます。
(注釈4)剣道実技拒否事件について、最高裁判例のサイトを紹介しておきます。地方裁判例も高等裁判判例も興味深いとても有名な判例です。憲法における「精神的自由権」と行政法における「行政処分」に関わる判例だからです。起訴する側を原告と言い、される側を被告と言います。生徒側が原告で行政が被告です。地方裁判所における第1審では原告(生徒側)が敗訴でした。原告(生徒側)は高等裁判所に「控訴」しましたが、その第2審は原告(生徒側)の逆転勝訴になりました。被告(行政側)は最高裁判所に「上告」をしますが、「棄却」(簡単に言うと門前払い)となります。審理の結果、第2審を支持し、「上告」を退け、判決は確定しました。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/24-3.html